1999年10月31日
19991031

木場のMOT(東京都現代美術館)へ行く。
「身体の夢~ファッションOR見えないコルセット」
と題された企画展
夜は久しぶりに実家へ。
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1999年10月30日
19991030

土曜だというのに仕事の日。
朝は、2時間だけ休暇を取る。
少し復活。
昼飯をバンちゃんの部屋でカレーをごちそうになり、
彼と共に原美術館へ。
須田君の展示を観に行く。
夜は、ラピュタンのコンサート。
会場も満員。
良いコンサートだった。
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1999年10月26日
19991026

休暇が必要だった。
バンちゃんにも休みをとってもらって、水戸芸術館へ行く。
イリヤ・カバコフ展「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」を観に行く。
1898年に生まれのウクライナ人、35歳で夭折した天才画家、ローゼンタールの回顧展。
だけど、ローゼンタールという画家は実在しない。
カバコフが産み出した、架空の画家だ。
壮大な物語性を持った、カバコフのインスタレーション。
ユーモアを含んだ叙情的な空間を楽しむ。
帰りは土浦で降りて、ヤスオ君と合流。
霞ヶ浦周辺をエスコートしてもらう。
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1999年10月24日
19991024

代官山のフレンチ・レストランでターキーの結婚パーティー
学生時代の友人、リュウヘイくんやイマイくん、イイダさんとも再会
ナイスなカップルの誕生を祝う、至福のひととき。
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1999年10月22日
19991022

調査書作成なども一段落ついた週末。
遊び仲間と六本木の韓国料理屋に集結。
久しぶりなので、ややハメをはずす。
20:00に集まり、解散は未明03:00。
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1999年10月20日
19991020

昨年卒業した、N谷とH嶋が遊びに来た。
在学中は、喫煙で謹慎に入ったり、教師達の手を焼かせたコンビだ。
コンビで文化祭の執行委員長をやらせてみたら、
豊富なアイデアで文化祭を盛り上げてくれた。
H嶋は美大への入学を希望していたので、放課後にデッサンを教えたりしていた。
結局受験には失敗して、今は美術系の専門学校に通っている。
在学中は、学校の枠が窮屈そうに見えた彼らだが、
こうして学校を懐かしがって、ひょっこり訪ねてくれるのは嬉しい。
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1999年10月19日
19991019

今日も空が美しい日だった。
通勤に使う、代車のトヨタ・カムリは依然しっくりこない。
静かに走るし、申し分なく通勤の足としての役目を果たしているのだから、
別にそれ以上の事を求める必要はないのだけれど、
車を相棒のように考えるのならば、
トヨタ・カムリは無口で冗談を言わない執事のようでもある。
車に限らないが、愛用の道具を擬人化して捉えてしまうのは昔からの癖だ。
むかし「愛着をもって使うと、車は調子が良くなる気がする」と言ったら、
「そういうの、精霊信仰って言うのよ」と姉に言われたことがある。
はじめて買った車のことを思い出した。
3万円で買った、56年式のスズキ・アルト。
ライトが丸くて、赤いボディ。
洗車して拭きあげると、いつもウェスが赤くなった。
ボディの横に「自家用」と白い塗料で書いてあった。
エアコンなんて無かったので、
梅雨の蒸し暑いときに山手通りで渋滞にはまったときは、
ハンドル握ったまま失神しそうになった。
冬場は、チョークを引っ張りながらエンジンをかけるのに苦労した。
一発でかかったときは、良い日になる予感がした。
2サイクルエンジンで、オイルを燃焼させながら走るので
排気がこれまた臭かった。
いまでもその臭いを思い出せる。
相棒としてとても気に入っていた。
密かに、名前もつけてやっていた。
結局その相棒は、深夜の中央道を走行中オーバーヒートして、
ラジエータ液を噴水のように噴き出し、
白煙をあげながらエンジンが燃えて、
ドリフ的なエンディングで息を引き取った。
駆けつけたJAFのお兄さんがボンネットをあけるなり
いかりや長助ばりに「だめだこりゃ」と言った。
車の最後を看取ったのはその時だけである。
幼い頃、保育園で教わった「大きなのっぽの古時計」の唄は
当時の僕には衝撃だった。
「おじいさんが生まれたときにやってきた時計」が
「おじいさんの最後とともに時を刻むのを止める」
なんだかその歌詞にとても惹かれてしまったのだ。
その体験が、モノをモノとしてだけみれなくなった僕のルーツなのかもしれない。
たとえば車でも、一生同じ相棒と付き合って行けたらいいのに。
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1999年10月17日
19991017

昨夜読み終えた、村上春樹の「スプートニクの恋人」の読後感良かったので
押入の奥から「ノルウェイの森」を引っぱり出して読んだ。
数年前、古本屋の店頭のワゴンセールで上・下巻セット100円という、
なかば、さらし者に近い状態で積まれていたのを買ったのだ。
この本をはじめて読んだのは高校生の頃で、
その頃の僕に、少なからずのインパクトを与えた。
当時「ノルウェイの森」はヒット商品として、ひとつの社会現象になっていたから
「好きな本」に挙げるのはちょっと恥ずかしかった。
その頃から12年たった今読み返すと、
作家自身が「文章を書く」という儀式を通して、
自分自身の体験を、ある種必然的に整理して、
私小説として編み上げた作品だったと感じ取れる。
年を重ねる事に、多くのことを失ってゆくのだとしたら、
どんな形にしろ「書き留める」という行為は無意味では無いと思う。
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1999年10月15日
19991015

朝から1時間のストライキだった。
「ストライキ」
今すぐにでも朽ちてゆきそうで、愛おしくさえ感じる言葉ではないか。
なぜだかこの言葉を聞くと、閉山をひかえた寂れた炭坑を思い浮かべてしまう。
ストをうつときは、多摩川縁のとある公園に集結することになっている。
ストには参加しているが、この集会に参加したことはない。
「団結」「闘争」なんて言葉を、朝一番の川縁でメガホン越しに聞くのはさすがにキツイ。
フォーク・ジャンボリーでも始めるのなら行ってもいいけど。
第一そんな言葉、とっくに絶滅した動物たちの名前と共に
レッドブックに掲載されていると思っていた。
「都教委の暴挙を打破するぞ!」なんてシュプレヒコールをあげたら、
低血圧な僕は貧血起こしてしまいそうな気がして、直接学校に向かった。
会議室に集まり職場集会をするが、とても形式的なものだ。
この高校が、統廃合される事に対する抗議行動だった訳だけれど、
争議とはほど遠い予定調和だ。
今朝の朝刊には、すでに都の統廃合計画は発表されているし、
おそらく組合の上層部と教育庁幹部との間では話は付いている。
ストとは名ばかりで、だれも処分は受けず、
今日の出勤簿には「遅参」というハンコが押された。
「遅参」なんてハンコ、初めて見たときには笑った。
遅参→「遅れて参上」を略したんだね。
略すなよ。
そんな訳で、最近の闘争はスマートだ。
給料日だった。
高いのか安いのか良く解らないけど、
いつもと同じ額面が、通帳に記載された。
「ブルージュ」でケーキを買って帰る。
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1999年10月14日
19991014

テレビをつけると、金八先生をやっていた。
今日からはじまる、新シリーズらしいのだが、全部観てしまう。
ドラマは、少子化の影響で空き教室が増えた中学校に、
老人介護施設が統合されるところからはじまる。
現代の3年B組には、多動症の生徒がいる。
隠蔽されるイジメや、それを操る優等生。
密室化された学級で起こる対教師暴力。
一度でも教壇に立ったものが観ればうんざりしてしまうほど、
今日的問題のオンパレードである。
昨今の教育諸問題の事例を良くリサーチしてあって、
お腹いっぱいになるほどのデティール。
だけど、リアリティがない。
何故なのか考えながら観てしまった。
例えば職員定数が少なすぎるとか、
桜中学には、異動はないのか?とか
事務仕事はいつやっているんだ?とか
息子がいる学校に、父親を配置しないだろ!
などのツッコミを入れられ無くもない。
しかし、それが原因では無い。
マスコミでもお馴染みの、記号化された今日的な問題を
ドラマに仕立ててしまう事こそが、最大のリアリティの欠如だ。
現実には、物語性を与えることが困難な日常こそが、
教師にとっても生徒にとってもやっかいな敵なのだと思う。
その日常の正体をつきとめて、
言葉を与えてゆきたい.。
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1999年10月13日
19991013

会議が続いた。
深く深く、退屈な職員会議。
カリキュラム委員会では、来年度の教育課程につての摺り合わせ。
各教科の利害が交差し、ナーバスなやりとり。
職場会では、ストライキのあり方を議論する。
本質論をかましても、行き場がないので静観する。
最後は、採決。
退勤して、車に乗り込むと何故かホッとする。
このまま、走り続けたい気持ちになる。
考え事をするのにもちょうどいい。
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1999年10月11日
19991011

何処にも行かず過ごす休日

コビは、キーボードの上に覆い被さって、
人の仕事を邪魔するのが仕事である。
庭の草や木を、電動草刈り機を使って刈まくる。
だけど、なんだか手に負えない。
ブットリアとコスモス、ナンテンの木を残して、あとは全て刈る。
どうせ、すぐにまた生えてくるだろう。
いっそ、除草剤でも使えば楽なんだろうけど。
自然に打ち勝つために、自然界に無いものを産み出す試みが、
化学の歩みだったのだろう。
僕は、自然には素直に負けることにしよう。
共存したいからね。
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1999年10月10日
19991010

父親が出展している美術展を観に行くため、上野に出る。
今回は、受賞しているとの事なので、行かない訳にはいかない。
都美術館の団体展なんて昔から興味を持てなかったけど、
父親を観ていると、元気の源になっているみたいだから、捨てたものじゃないんだろう。
秋の上野は、ものすごい人だかりだ。
父親の作品は、受賞していない作品の方が僕は好きだった。

67歳の父親は、僕のデジカメに興味を抱く。
パソコンも始めようとしているらしい。
新車のレガシーを買って、北海道へ写生旅行に行く計画もあるらしい。
好奇心は、年をとらないのだろう。
芸大に最近出来た美術館へ収蔵作品展を観にゆくものの、
行列が出来ていたので引き返す。
国立西洋美術館の「オルセー美術館展」も大行列。
最後尾に「ここから40分待ち」なんて看板を持った警備員が立っている。
列を作って、作品を観るなんて冗談じゃない。
また、平日来ることにしよう。

上野公園は、猫が増えている。
野良猫だけど、首輪をしている。
ホームレスの人々が猫を養っているのだ。
じゃあ、「野良」とは言わないのかな。
でも、「家猫」とも呼べない。
ホームレスの人々が暮らすテントの多さには、目を見張る。
上野公園の至る所にも、青い建材シートで張られたテントが点在していて、
川俣 但のインスタレーションみたいだ。
冬は、それでしのげるのだろうか?
それぞれのテントに、猫が首輪と手綱でつながれている光景が印象的だった。
やっぱり「家猫」なんだな。
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1999年10月09日
19991009

いかなる予定も入れない休日。
体も休まった気がする。
部屋を片づけて、クリーニング屋に行く。
昼飯は豆板醤で炒飯を作る。
ただそれだけの日だった。
ビデオ屋で借りた「アルマゲドン」を観る。
主題は新訳聖書の「一粒の麦の例え」なので、
わかっちゃいるけど、まんまとツボにはまるところあり。
「塩狩峠」のハリウッド版か?
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1999年10月07日
19991007

かつて、かけがいのない時間を共有した友人と過ごした時間が、
今日の自分にとってのカンフル剤となった。

疲れていたのではなく、渇いていたのかもしれない。
潤されたあとで、気づく。
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1999年10月05日
19991005

1年という短いサイクルで、2つの島で2年に渡り暮らしたことがある。
小笠原諸島の父島と、伊豆七島の神津島。
94年から'96年にかけてのことだ。
都立高校の美術科講師をしていた。
最初の勤務校、小笠原高校には産休代替要員として年度途中に赴任した。
亜熱帯のその島では、焼けるようにな美しい夕焼けを観ることが出来る。
ウェザーステーションと呼ばれる気象観測塔がある岬に、
生徒たちとその日の夕空を観に行くのが日課になった。
放課後の美術室を自分のアトリエにして制作をしていると、
生徒たちもよく絵を描きに来た。
油絵の技法を教えると、殆どの生徒がキャンバスに、美しい夕焼け空を描いた。
産休の先生が復帰されるのと同時に、僕はその島を離れることになった。
やっと、生徒にも島での暮らしにも慣れた頃だったので、寂しかった。
桟橋まで見送りに来てくれた生徒たちの前で、言葉がつまった。
次の赴任校である神津高校がある島は、静かな漁師町だった。
少し気性は荒いけど、うち解けると素直な生徒が多い。
職員室の中で、唯一の講師である僕は、
職員会議の日には一足お先に退勤して、よく生徒と釣りに行った。
島の高校の中にはヒエラルキーがあって、
サーフィンと釣りが巧い奴から順に偉かった。
僕は下っ端だった。
「先生は、本当の先生じゃないんだろ?」
生徒は、講師という僕の不思議なポジションを彼らなりに理解し、
だからこそ身近に感じていたようだ。
「来年もこの島にいてくれるんか?」その問いには、答えられなかった。
1年契約だっだし、来年も講師の口があるのかさえ解らなかったのだ。
その年度の終わりに、正式に教諭として現任校に採用されることが決まった。
「本当の先生になるんか。」と生徒たちは、喜んでくれた。
再び島を離れるのは寂しかったけれど、
これからはひとつのところに腰を落ち着けて、
教師という仕事に専念出来るのだと思うと、嬉しかった。
採用試験に合格し、名簿に登載されてはいたが、教諭として採用されるのは若干名。
声がかかったのは単にラッキーだったのだと思う。
採用試験合格後の採用と不採用の間には、大きな理由の違いはない。
あるとすれば、昨今の不況による都の財政難と、少子化を理由とした新規採用枠の圧縮だ。
それは、とても残念なことだと思う。
今でも教師としての仕事を望み、
その資質を持ちながらも、機会に恵まれない方が多くいるはずだ。
一緒に働いている職場の仲間が、
リストラなどで働く機会を奪われたらもちろん許せないけれど、
さらに想像力を働かして、
彼らのための間口を広げる手助けが少しでも出来ればいいのにと思う。
彼らは、見えない仲間なのだから。
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1999年10月03日
19991003

日曜の午後、新宿は秋の気配がする風が吹いた。
歩行者天国には、100円を払えば、「1分間あなたをを誉めます」という人が立っていた。
新宿で買えないものなど無いのだ。
ヴァージン・メガストアで、スティングとエヴリシング・バット・ザ・ガールの新譜を手に入れる。
気をゆるめると、何枚でもCDを買ってしまいそうだ。
何を見ても欲しいけど、何一つ不可欠なものは無いような街だ。
夜、プライヴェート・ライアンを途中まで観る。
オープニングの30分は、悪夢のような臨場感。
NYのライアンから、メールが届いていた。
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1999年10月02日
19991002

午後、目黒の都立教育研究所へ。
与えられた時間内で、自分のビジョンを表現しきれなかった。
悔やまれる気もするが、これが今現在の自分の実力だろう。
あとの判断は、僕の仕事ではない。
夕焼けがとても美しく、デジカメを持っていないことが残念だった。
空が美しい時間は、一瞬だ。
そして、二度と同じ姿はない。
ラピュタンのメンバーが、我が家にアンサンブルの合わせに来ていた。
一緒に、ピエモンテで食事をする。
肩の力が抜ける時間。
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1999年10月01日
19991001

「都民の日」なので学校はお休み。
明日までに仕上げるべき論文に、なかなか手が着かない。
車を定期点検に出しに行く。
帰りは電車。
久しぶりに西武線に乗った。
変わらない景色と、変わった景色。
坂本龍一のオペラ楽曲のCD[LIFE IN PROGRESS]を手に入れる。
オペラに用いられた映像の数々が蘇ってきた。
完璧すぎる構成。
あらためて、あのオペラは、楽曲が生演奏である意味がなんであったのか考えてしまう。
だけど再び、あんなオペラ体験をしたいと思う。
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